そらろーぐ。
目指せ明るい鬱病患者。
『そらの見える場所』もよろしく。 愛をする人。
堀田あけみさんの『愛をする人』を読み直しました。
この小説を読む度に思うことですが、主人公の悠子さん、物事の考え方が、ものすごくワタシに似てて……
自分のことを、すごく低く見てるんです。
他にも、作品中のセリフにこんなのがあります。
『誰かが辛い思いしなきゃいけないんだったら、自分がするのが一番気が楽でしょう』
って。ワタシも、よくそんな風に思いますから(^-^;
読んでてすごく辛いんです。悠子さんの気持ちが手に取るように分かってしまうから。
でもその分、この感覚を共有できる人がそこにいるような気がして、少し、安心もします。
この悠子さん、婚約者のいる男性の、いわゆる『愛人』になっちゃいます。
婚約者と別れて欲しいとは思わない。好きな人の倖せを邪魔しちゃいけないから。
それよりも、ただ、好きな人が側にいる、その時間が倖せ。
自分の倖せは、それで充分。
ずっと側にいて欲しいなんて、そんなわがままは言えない。
自分には、そんなわがままを言う資格はない。
ほんとはずっと側にいて欲しいけれど、そんなわがままを言って、好きな人を傷付けたくない。
そんなわがままを言って、相手に嫌われてしまうのが怖い。
好きな人が、ほんの短い時間でも、自分を必要としてくれる。それだけで、いい。
それだけで、満足しなきゃいけない。
実際、好きな人の側にいられるその時間は、他の何にも代えることのできない倖せだから。
自分みたいな醜い存在が、そんな倖せを得られるだけで、充分だと……
他の人はきっと、そんな倖せはまやかしだとか、別れた方がいいだとか、そんなことを言う。
相手のことを『酷い人』なんて言う人がいるだろうことも、分かってる。
でも、自分自身が倖せであることは、間違いのないことだから。
会えない時間の辛さ。相手が恋人と会ってる時間の辛さ。
そんなのよりも、好きな人が自分の側にいる時の、倖せ。それが大切で。
それさえあれば、どんなに辛くても、大丈夫で。
その想いが、ほんと、痛いほど分かるんです。
この小説に出てくる、相手の男性、ほんと、酷いヤツです。
だけど、それはいわゆる『世間一般』の評価でしかなくて、そんなのは自分には関係なくて。
相手がどんなに素敵な人なのか、自分にはよく分かってるから。
世間一般の評価なんて、ほんと、関係ないんです。
それよりも、自分の存在が相手に対する『世間一般』の評価を歪めてしまうことが辛かったりします。
あと、自分のずるさも知ってるから。
自分がどんなにずるいやり方で相手の側にいるのかも、知ってるから。
だから、どんなに辛くても、それは自分のずるさへの戒めだと、そんな風に思って。
その上で、相手が側にいてくれることが、すごく倖せなんです。
それ以上の倖せは、望んじゃいけないんです。
自分は汚く醜い存在で、すごくずるいから。
あはは、ぶっちゃけ、ワタシも『婚約者』のいる女性とお付き合いしたことがありまして(^-^;
なんか、この小説を読んでると、その頃のこともいろいろ思い出しちゃいまして……
そりゃもう、罪悪感もものすごいんですよ、えぇ。いろんなことに対する罪悪感。ほんとに。
もうね、最低ですよ、ほんとに。
自分がその時に倖せならそれでいいって……
何も知らない相手の婚約者さんは、ねぇ?
ほんと、最低です。ワタシって。
相手も同罪? いいえ。そんなことはありません。
ワタシが『好き』なんて言わなければ、あの人はワタシなんかと付き合ったりしなかったはずですから。
ワタシが悪いんです。やっぱり。
って、何を書いてるんだか(^-^;
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投稿者 Kathrin Belvarde : 2006年4月3日 12:21